すっとんの小部屋~ちょっとゆっくりしてこうか

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「未来が過去をつくる」という考え方について

すっとんはAmazonのプライム会員なので、AmazonのKindleを利用して無料のビジネス書が読めたりします。
「Unlimited」ではないので読める本はだいぶ限られているのですが、それでも時々面白い本に出会えるためKindle様様です。
 
そんな中でも現在すっとんが読んでいるのが、苫米地英人 (著)の「「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」という本です。

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「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

https://www.amazon.co.jp/dp/B00JP3222M/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

先述した通り、こちら現在Amazonプライム会員であれば無料で読むことができます。
 
まだ読んでいる最中なので総評は出来ないんですが、ちょっとすっとんの人生観に影響を与えそうな一節があったのでご紹介です。
それが、タイトルにもある「未来が過去をつくる」という考え方です。

 

 

過去が未来をつくる?

一般的な考え方としては、「過去が未来をつくる」というものだと思います。
過去があるから現在があり、その延長線上に未来がある。
至極真っ当な考え方だと思います。
 
例えば有名大学に合格するためには、「一生懸命勉強した」という過去があり、また「受験で実力を発揮できた」という過去も合わさって「合格」というものが手に入りますよね。
 
これが、「過去が未来をつくる」という考え方であり、いわゆる「因果律」というやつです。
 

未来が過去をつくる?

これに対して先にご紹介した本では、「未来が過去をつくる」と言っています。
なんのこっちゃ?ですよね。
 
本の説明を引用させていただくと、
時間の流れは川の流れのようなもので、自分はその川の真ん中に立って川上を見ています。
すると、川上から赤いボールが流れてきたのでキャッチしました。
続いて青いボールが流れてきたのでキャッチしました。
赤いボールと青いボール、この2つにはなんの関係もなく、すなわち(青いボールをキャッチしたという)過去と(赤いボールをキャッチしたという)未来はそれぞれ関係なく起こるというものです。
 
例として、先ほども出した「有名大学に合格する」というものは、”可能性が高い/低い”ということを考慮しなければ誰でも合格する可能性はありますよね。
この「合格/不合格」の2択についてのみ考えれば、過去に「勉強したか否か」は、実は関係がないのです。
 
およそ合格できる学力を持っていない人でも、もしかすると試験前日に雷に打たれて天才的な頭脳を発揮してしまうかもしれません。
あるいは大学側が試験制度を撤廃し、誰でも合格できる制度に変更してしまうかもしれません。
 
繰り返しますが、”可能性が高い/低い”ではなくあくまで「合格/不合格」の2択に絞っていえば、誰にでも合格する可能性はあるわけで、それに対して過去に勉強を頑張ったかか否かは重要ではないのです。
(もちろん、現実的には雷に打たれて天才になる努力をするよりも勉強をしたほうがよっぽど簡単に合格できると思いますが。)
 

何が言いたいか

この「未来が過去をつくる」という言葉の意味することは、ことわざにもある「終わりよければ全てよし」に通ずるところがあります。
つまりこれが言いたいのは、最終的に良い結果になれば過去の良くないことなど全てどうでも良くなる(過去の改変)という、主観的かつ心理的な考え方なのです。
 
良い意味でも悪い意味でも、「過去〇〇だったから、どうせ△△になるだろう」という考え方は、固定観念に捉われた悪しき習慣であり愚の骨頂ですよ、という教えです。
 
この考え方、すっとんにとって結構目からウロコな状態でして、一言でいうならば「おもしろい!」と思いました。
 
が、同時にやはり疑念も発生します。
 
先に挙げた大学合格の例は、”可能性が高い/低い”を排除して議論を進めました。
もちろん、極論としては可能性を論ずることなく進めるべきなのですが、現実問題として、それこそ雷に打たれたり天変地異でも起きない限りは学力の足りない人間が有名大学に合格できる可能性は限りなく低いと言わざるを得ません。
 
これを矛盾なく「未来が過去をつくる」という基本概念とマッチングさせるためにはどう説明するべきか。
 
すっとんは思いつきました。
 

川上に向かって投石しよう

今、あなたは「時間の流れ」という川の真ん中に立ち、川上を見ています。
足は川底に固定され、動けません。
川上からはボールが流れてきます。
しかも、無数のボール(事象の可能性)がひっきりなしに流れてきて、自分は「さて、どのボールをキャッチしようか」と思案しているのです。
そのボールはそれぞれ「大学合格」「大学不合格」だけでなく、「進学を諦めて就職」や「何もせずニートに」などなど、あらゆる可能性を乗せて流れてくるわけです。
 
あなたが望むボールはどれですか?
そう、「大学合格」というボールをキャッチしたいんです。
 
しかし、よく見るとはるか川上から流れてくるその「大学合格」ボールは、このままではキャッチ出来そうにない川岸のほうを流れて行ってしまいそう。
 
どうしますか?
 
すっとんであれば、足元に転がっている石をその「大学合格」ボールめがけて投げ、なんとかこっちに近づけてみようと努力するでしょう。
 
そうです、すなわち過去ではなく「現在」という立場から、未来に干渉してボールキャッチの可能性を上げてあげるのです。
 
どんなに投石してもボールはこっちに来てくれないかもしれないし、1発2発の投石でこっちに来てくれるかもしれません。
最終的にキャッチ出来るかどうかはわかりませんが、キャッチしやすさ(可能性の有無)を増減させることはできるでしょう。
 
つまり、過去が未来をつくることはないが現在という立場から未来に干渉し、望む未来を手に入れる可能性を上げることが出来るということです。
 

まとめ

なんというか、漫然と生きているこの現代社会において、自分ひとりに何が出来るのかと色々考えてしまうものです。
もっと言えば、自分の人生さえも他者の波にのまれて翻弄される毎日です。
 
そんな中で、今回この本に出会って気付いたことにより「現在の自分が自分の未来に干渉してほしいものが手に入れられるかも」という考えに至ったのは結構な収穫でした。
 
この「「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」という本、Kindleであれば無料で読めますのでプライム会員な方は是非一度読んでみてください。
結構おもしろいですよ!
(すっとんもまだ途中なんですけどね!)
 
では今日はこのへんで!